蝉丸Pのこれくしょん(仮)

その8:観自在菩薩
2014年04月04日

【観自在菩薩】

梵名 アーリヤヴァロキテーシュヴァラ(Aryavalokitesvara)
密号 正法金剛(しょうぼうこんごう)
シンボル 初割蓮華(しょかつれんげ)
真言 大呪 ノウマクサンマンダボダナン・サラバタタギャタバロキタ
キャロダマヤ・ラララウンジャク・ソワカ
小呪 オンアロリキャソワカ

光世音(こうせおん)観世自在(かんぜじざい)聖観音(せいかんのん)の訳があり
一般的に観音さまとして広く親しまれ、般若心経の出だしでも観自在菩薩から始まるので
誰しもが一度は聞いたことがあるのでは、という仏教界きってのトップアイドル

阿弥陀如来が悟りを開く前の段階を表す尊格ともされるが、あらゆる存在のありさまを
観察する智慧を供え、その観察から衆生を自在に救うので観自在と称される。

人が人を観ると、どうしても一面的になりがちだったり思い込みが入るものですが
そういった主観を排して、本当に必要とされる救済の手段を与える理想型であり
如来大悲の徳を具現化した仏であるとされ、衆生を救うときにその身を自在に
変化させるので、六観音・三十三観音などのバリエーションを有する。

また観音経に説かれるように、苦の中に生き続ける衆生がこの尊を念じて
その名前を唱えると、その音声を観じて輪廻の苦から解脱させると信じられ
補陀落浄土(ふだらくじょうど)を有する仏としての信仰も篤く
東の地蔵・西の観音という具合に衆生救済のツートップとされ
民間信仰のバリエーションは他の追随を許さない
ものがあります。

変化の姿である十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音などは
多面多臂の派手な姿で描かれますが、その本体である聖観音の作例は総じて地味で

秘蔵記には「聖観自在菩薩、白肉色にして左に蓮華を取り、右手は華を開く形なり
と素っ気ないものですが、左手に持つ未だ開いていない蓮華は、一切衆生が持つ
自性清浄(じしょうしょうじょう)という、泥の中にあっても汚れない清い心を表し
右の手で「開けー」という形を取っているのは、観音大悲の徳をもって
華が咲くのを妨げる迷いや妄執などの力を取り除こうとしている様子を表しています

このように、どこまでも衆生と共にある姿から広く民衆に親しまれており
親しまれ過ぎたが故に日本各地に大型観音建造ブームまで引き起こしましたが
そういった衆生の迷走も静かに微笑んで見つめているようでジッサイ・オクユカシイ!

本企画はゲーム化を希望しております!※ちなみにまだその予定はありません。
ゲーム化を夢見て、胸膨らむ日々を過ごしておりますので、いつでも、お問い合わせください!
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次回の更新は【4月25日(金曜日)19時】です!

 

その7:無量寿如来・阿弥陀如来
2014年03月28日

【無量寿如来・阿弥陀如来】

梵名 アミタユース(Amitayus)
密号 清浄金剛(しょうじょうこんごう)
シンボル 開敷蓮華・初割蓮華(かいふれんげ・しょかつれんげ)
真言 小呪 オンアミリタテイセイカラウン
   胎蔵界 ノウマクサンマンダボダナン サンサクソワカ
   金剛界 オンロケイジンバラアランジャキリク

無量寿如来は阿弥陀如来の名が最もメジャーながら、別訳としては無量光(むりょうこう)
甘露王(かんろおう)無辺光(むへんこう)観自在王(かんじざいおう)
清浄光(しょうじょうこう)etc…などがあり、大乗経典きっての主力級如来である。

大日経疏には「衆生は尽きることが無いので、如来の大悲も救う手立ても無尽であり
その故に無量寿と名付ける」とあるが、成立の起源としては釈尊の成道伝説によるとされ
悟りの境地を永遠の命になぞらえて、その特性を独立した形で付与されたとの説もある。

無量寿=不死はサンスクリットでアムリタといい、ゲームなどでお馴染みのポーション
アムリタは蘇生=不死の霊薬であり、甘露と訳されることから甘露王如来とも同体である
として、アミタユースのアミタの語源はアムリタにあるとする説も根強い。

悟りの果実を享受し、人々に与えんとする姿から、あらゆる苦悩や疑念を絶ち、願いを
かなえようとする功徳の限りないことから無量光とも言われ、必ず西方にこの尊の
仏国土(ぶっこくど)である極楽浄土が説かれることから、曼荼羅でも大日如来の
西方に配置されています。

ちなみに仏国土とは仏教の宇宙観である三千大世界(十万億土)の中のひとつであり
平たく言うと異世界が十億あるとされ、自分の世界を有しているとされる尊格も多く

大日如来の蓮華蔵(れんげぞう)浄土や阿弥陀如来の極楽(ごくらく)浄土
薬師如来の瑠璃光(るりこう)浄土、阿シュク如来の妙喜(みょうき)浄土
弥勒菩薩の密厳(みつごん)浄土などが説かれているも

西欧文化圏の天国とは少し違い、悟りを開く為の環境が整えられた
進学率100%の予備校みたいなものでして、最終的なゴールではありません。

大乗経典の無量寿経では法蔵比丘(ほうぞうびく)と呼ばれる僧侶が人々を救う為に
四十八の誓いをたて、苦難の果てに誓願をクリアして阿弥陀如来になるという形ですが
密教経典では大日如来の悟りの一面を表現した仏とされる違いがあります。

諸説を述べ始めたらキリがないのと同じように、無量寿如来の慈悲や救いにもキリがなく
どこまでも行き届くとされる事から、無量の名を冠するスーパスターであると覚えておけば
だいたいあってるんではなかろうかという位のチート性能の尊格でございます。

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その6:髻設尼童女
2014年03月07日

【髻設尼童女】

梵名 ケイシニー(Kesni)
密号 密持金剛(みつじこんごう)
シンボル 利剣・大刀(りけん・だいとう)
真言 ノウマクサンマンダボダナン キリケイケイコモウリケイ
ダヤジャナン サンマラハラチゼンソワカ

(普く諸仏に帰命す、童女よ煩悩を断ぜよ・教令を念ぜよ・誓願を念ぜよ・スヴァーハー)

地慧童女・不思議慧童女などと同じく文殊八大童子の一尊
伝統的に八大童子と呼び習わされているが、尊名のサンスクリット表記は
全て女性形であり八大童女とするのが本義といえる。

名詞に性別があるというのはインド・ヨーロッパ語族の言語には広く見られる性質で
大学で第二外国語などを履修しますと、だいたいここで驚きかつ面倒くさくなり
これを乗り切るかどうかで挫折具合が変わって参ります。(筆者・挫折済み)

ケイシニーには美しい髪の(女性)という意味があり「大日経疏」には
文殊五使者の一人で、その美髪は文殊菩薩第一の智を表すとされ
すなわち髪は心智の標識であるから美髪は心智の清らかさを意味するとあります。

通常、仏門において髪の毛というのは「己を飾り良く見せようとする」心の働きと
つよく連動するとされているので、出家した僧侶は髪の毛を剃り落とします。

しかし悟りを得た如来や、衆生救済に励む菩薩や明王、尊格となった天などは
髪の毛一つをとっても意味合いが変わるので長髪も許されており、この時期は
首筋が暖かそうで羨ましい限りです。

この髻設尼童女は文殊菩薩と同じく、智慧の象徴である「利剣」を所持しており
さらに「大刀」で表されるというのは煩悩を断つ力の強さを伺わせますが

童女=10~12歳くらいの純潔の少女と書いてある注釈を読むにつけても
小五=ロリのAAを作った人は仏教思想に通じた人であったのかと思ったりもいたします。

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その5:孔雀王母
2014年02月28日

【孔雀王母・孔雀明王】

梵名 マハーマユーリー(Mahamayuri-)
密号 佛母金剛(ぶつもこんごう)
シンボル 孔雀の尾羽
真言 オンマユラキランテイソワカ

孔雀佛母は梵名を摩由羅または摩喩利と称し、訳して孔雀佛母・孔雀明王と呼ぶ

インドでは今も昔も毒蛇(インドコブラ)が猛威を振るっており、血清の普及により
死亡率こそ多少下がったものの、年間一万人くらいは被害にあっているそうです。

そんな恐怖の象徴であるコブラを孔雀は食するということから
孔雀には何か不思議な霊力があるのでは?と考えられたそうで

孔雀経の一節に、新入りの修行僧が薪割をしようとしたところ黒蛇が潜んでおり
足の親指を噛まれ「毒気身に通し悶絶して地に倒れ、口中より泡を吐く」有り様で
この様子を見た阿難(アーナンダ)尊者がお釈迦さんのところに駆け込むと

阿難よ、如来大孔雀明王咒を唱え、結界結咒(けっかい・けつじゅ)を為せば
毒によって害されることはなく、刀杖(とうじょう)ですらも害を与えることはできない
と答え「孔雀明王は一切衆生の諸毒を除くを以って其の本誓となす」と説きました

孔雀経などは雑密(ぞうみつ)の経典なのでお釈迦さんが~というのは後世の創作ですが
初期の仏教でも呪文や迷信を禁じるも、蛇避けの護呪(パリッタ)だけは認めるというくらい
蛇による被害がシャレになっていなかったことを伺わせます。

この孔雀王の真言=明呪(みょうじゅ)の霊験が特に顕著なので明王と称されるも
一般的な憤怒形の姿で描かれることはなく、本来は菩薩であるとしますが
真言陀羅尼(しんごんだらに)の功徳を司る王=明呪の王(明王)の功徳を生み出す
母に喩えたことから王母と名付けられ、別格の扱いをされていることからも
蛇の害というのは本当に怖がられていたんだなと実感させられます。

日本では某退魔伝奇マンガのタイトルになるまでは、わりとマイナーな扱いで
現存する仏像の数はほとんど無く、図像で描かれるのみに留まっておりますが
高野山の霊宝館には快慶作の孔雀明王像が収められ、壇上伽藍には孔雀堂があり
いまでも出家・得度の前には伽藍に赴いて准胝観音と孔雀明王にお参りをするものであると
先輩僧侶から言われたものであります。

また蛇の毒から転じて三毒=煩悩を降し仏道を成就させる功徳があるとされ
人々の苦痛や災厄を取り除き、魔を払い、雨乞いまで司るカバー範囲の広さから
孔雀明王法という密教の修法(しゅほう)は国家鎮護の大法とされ重要視されていました。

主に孔雀に乗った一面四臂(いちめんしひ)が有名ですが曼荼羅の中では一面ニ臂で
孔雀の羽根をもった姿で描かれています。

小学校の時に学校で孔雀が飼われてましたが、綺麗なんだけども気性が激しいという
アンバランス加減は色々と想像の余地が捗ったんではなかろうかと、はい

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その4:阿修羅王
2014年02月07日

【阿修羅王】

梵名 アスラ(asura)
密号 なし
シンボル 棒・戟(げき)
真言 ノウマクサンマンダボダナン ラタンラトバランタン
オンビマシタラ アソラチタエイソワカ

天龍八部衆の一尊、非天とも無酒とも言われ、またの名を阿須羅・阿蘇羅とも。
無漏(むろ)と訳されることもあり、容貌醜陋(ようぼうしゅうろう)とも称される。
名前のアスラはアとスラに区切られ、スラは天・神あるいはスラー「酒」を意味し、
アは非・無などの否定を表すがゆえの訳でもある。

果報優れて天に似たりといえども、しかも疑い詐り多く天の実徳無きがゆえに非天という

と、経典では散々ないわれようである。
アーリア人の神話はデーヴァ神族とアスラ神族があり、
インド系アーリアではデーヴァ神族が神(善)とされ、アスラ神族が魔(悪)となった。
イラン系アーリアではアスラがアフラマズダー(善)となり、デーヴァがダエーワ(悪)となる。

仏教ではインド神話を取り込んでいるので、アスラはインドラ(帝釈天)に敵対する
下級神という扱いになっている。元はといえばアスラの娘である舎脂(しゃし)を
インドラが誘拐して自分の奥さんにしたのが原因で、怒ったアスラはインドラの軍勢に
戦いを挑んだわけですが、いつの間にか誘拐された娘とインドラが仲睦まじくなってしまい
経緯はどうであれ、幸せに暮らしている夫婦を許さない狭量な親父ポジションとされ、

たとえ正義の行いであっても、善心を忘れ他者を許さずにいると妄執の悪になってしまう

などとお説教のネタになってしまい、天(神)のようでありながら一段低い非天扱いなので
正直、帝釈天の欲に任せた行いの果報はどうなっているのかと問い詰めたい。

日本では国宝の興福寺・阿修羅像が有名で三面六臂の優美な姿であり、漫画などでも
憂いのある美少年に描かれますが、本場では青黒マッチョであり曼荼羅の中でも
一面二臂で甲冑を纏い、鈍器を持ったむくつけき姿なので、興福寺の阿修羅像は
どうしてこうなった?という感があり、三面の憂い顔も仏法に帰依したからとか
現在・過去・未来を表し…など見る人間の思いやストーリーを無闇に重ねられている。

仏教では護法善神(ごほうぜんじん)と言って仏法守護の誓いを立てた神(天)として
八部衆や観音二十八部衆に所属し、人々の守護を司っている。

個人的には言いたいことは山ほどあるのに色々と飲み込んでいる姿に見えて仕方が無いが
誤解されがちの困り顔ヒロインと考えるとそれはそれで有りではないかと!

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